隣の貧困女子大生

私が履歴書に書くことや見かけなど傍からは分からなくとも、学生時代自分の傍にはずっと貧困があり頼れる大人はいなかった。

そうした個人的な理由もあり、子供の貧困や女性の貧困、引きこもりなど「貧困」というテーマに関心を持っている。

先日『日本の貧困女子』(中村淳彦、2019)を読んだ。そこには様々な理由で貧困に苦しむ女性たちの人生がルポルタージュとして描かれていた。

確かに彼女たちに比べれば自分の貧困はちっぽけかもしれない。だからといって自分の経験や意見を明かすことが無駄ということにはならない。

ここでは私の学生時代の貧困について書いていこうと思う。

困っていた時の自分が見て「希望」が持てるように、また若者の貧困問題が放置されている社会が少しでも変わるように

小さくとも声を上げることに意味があるからだ。

隣の貧困女子大生

  • 『日本の貧困女子』(中村淳彦、2019)のまとめ
  • 自分の貧困体験
  • 私の主張

『日本の貧困女子』のまとめ

『日本の貧困女子』(中村淳彦、2019)では日本の北関東、東京、沖縄に住む貧困女性から聞き取りを行いその人の今に到る経緯が記されている。

その中でも、貧困とはお金がない状態だけを言うのではなく3種類の貧困があると著者は主張する。

経済的貧困(お金)、関係性の貧困(助けてくれる家族や友達など人脈や仕事があること)、情報の貧困(支援や社会福祉などを知っていること)

この3つの貧困がそろえば絶対的貧困に陥り、そこから這い上がるのも困難となる。

ここで私が気になった点として、女性が貧困に陥るには、生まれ育った家庭環境、地域の特徴(北関東では中学生のときのままコミュニティが固定される)、学校に行っていたか、付き合った男、子供の有無、精神的な持病など様々で自分ではどうしようもできないことが原因になっている。

著者は現在の貧困の恐ろしさについて、「誰にでもある些細な躓きで、どんどんと階層が転落してしまう。下には簡単に落ちるが、上に戻るのは極めて困難という国民の転落システムができあがっている」と述べている。

自分の貧困体験

長々と語っている自分の経験をまとめると、

今どこかで貧困や世の中の不条理を受けて、もう人生辞めてしまいたいとかお先真っ暗だと絶望してる人がいたとしても、「希望」は捨てないでほしいということ。

適切な支援を受ける必要があるし権利もある。でも、困っているときほどそんなことは考えられなかったり、届かなかったりする。

でもひょんなきっかけで、それはお金だったり、人だったり、情報だったりで、状況は好転することもあるんだということ。

決して自分のせいだと自分を責めずに、助けを求めてほしい。一度ではダメでも何度でも希望を捨てず模索していると道は開けることもある。

貧困なんて自分には関係ないと思っている人には、大いにあるしいつ自分がなってもおかしくないこと、周りにも見た目には分からないだけで貧困は身近にあるのだということを知って欲しい。

 

ここからは、詳しく自分語り↓

家庭環境:クソな父親、母子家庭

もともと父親は子どもや女性など自分よりも弱い存在を馬鹿にして威張るような最悪なタイプだった。

子育ては全く興味がなく全て母親任せ。学歴コンプレックスを抱えており中学受験を押し付ける。昔の自慢を聞かされる。

寝ているときに上にのしかかられて息ができなくなる暴力や性的な嫌がらせといった「父親の遊び」に一方的に付き合わされていた。

私が小6の時に仕事場で急に人から殴られて部署変更など紆余曲折を経てメンタル崩壊。

無事に気が狂ったので母がいない隙に私と姉と飼い犬に暴力を振るう。

その後は何の謝罪や説明もなく、父親は実家に逃亡し3年ほど引きこもった後、ここ10年ほどはアルバイトで食いつないでいる。

私が中高大学生の10年はほとんど父親には会ったり話したりしていない。養育費は出しておらず学費は中学生の時の塾代とどうしても払えなかった大学の一学期分を負担している。

中高生の時は母と姉の3人で暮らしていた。世間体を気にして離婚はしておらず別居なのでひとり親の支援は受けられていない。

母はもともと専業主婦やパート勤務だったが、父親が会社を辞めたことでフルタイムの仕事を始めて今ではキレキレな頭を活かして収入も安定している。

(他にも父親のクソエピソードはいくつかあって、一緒に住んでいる祖父の貯金500万円を祖父の入院中に盗んだこと、祖父の家で暮らしながら急に再婚すること、ここでは長くなるので割愛)

学校に行っていたか:中学高校と卒業はしたけど休みがち

中学1年の冬から不登校気味になる。家庭環境のストレスもあるけれど、クラスの女子からいじめられたことが直接の原因。

完全に不登校にならなかったのは部活のテニスが好きだったからと、そこでは一緒にしゃべる人がいたから。

でも、顧問(女の体育の先生、蛇みたいな顔)と上手くいかなくて中2の夏から部活も嫌いになって結局中3になる春休みに辞めた。

私はグレ方を随分と間違えたようで、「大勢でつるんで悪ぶるのは甘えやわ。あえて一人でいて学校行ってないけど勉強できるのがかっこいい!」

という謎のポリシーを基に、家や塾はもちろん、学校の授業は聞かず、遊ぶ相手がいないから休み時間も勉強する。

家庭と学校という大嫌いな場所の他に中学生の私は塾で勉強できるのがすごく楽しかった。

同じクラスの女の子たちで一緒に遊ぶこともあったし、学校でいじめられていた時に相談できる子もいた。

塾は学校と違って良い先生ばかりで授業も楽しかったし、一緒にいろいろと話して元気になっていた。受験勉強を通じて勉強の楽しさも知れた。

中3は学校大嫌いだったけれど、地元の公立進学校に行くために1,2学期はほとんど休まず行ってオール5に近い成績をとった。

(部活の顧問がつけた体育の3は嫌がらせでしかないから、こういう人の足を引っ張る教師は滅びればいい)

猛勉強した甲斐あって地元の公立進学校に行くことになり、これで私の人生やっと軌道修正できたのかなと思ったら、

この学校が自分と合っていなさ過ぎた!!

いい大学に合格することが全ての高校。大学に行くなんて家庭で教えてられていない自分はまず戸惑った。

偏差値は親の年収に比例するのは本当で、お嬢やお坊ちゃんが多くて、貧乏真っ只中の私には周りは敵だらけに見えた。

もともと自分の意志ややり方を持って勉強していたので、押し付けられる型のこの高校での学習が全然合わず、無駄な努力してるのがバカらしい。

そんな理由から、高1の冬に「高校辞めたい!」と母に相談するも、ブチギレられる。

母は「普通」しか認められないので、高校に行けない私は「気合いが足りていない怠け者」と怒鳴られ、「学校に行ける薬をもらえ」と精神科を受診させられ、「根性をつけるため」に家を出される。

(この時に祖父の家に行ったのでちらっと父親の姿は見ましたが、助けてはくれませんでした)

結局卒業まで高校辞めたいと思いながら、保健室も活用してだましだまし出席日数ぎりぎりで高校を卒業する。

そんな状態で勉強が満足にできるはずなく1年間浪人。(正直大学行くかすら迷ってた)

ちなみに、この高校では半分くらい浪人生になるので特に目立ちもせず…

地域の特徴:神戸市、家から通える国公立

大学に行くかどうか迷ってたのは、自分の家が貧乏で、母が口癖のように「娘二人も大学行ってもらうほどお金ない」と言っていたのもある。

でも姉は祖父のお金で4年間私学の大学に行っていた。本当は私は一人暮らしができる国公立に行きたかった。

でも、奨学金という借金はできるだけ背負いたくなかったのと、母親の負担を減らすために家から通える国公立を受けた。

大学で良い成績をとって、家庭環境も厳しかったことが認められて授業料免除を受けていた。3年からは給付型の奨学金も貰っていた。

ここで一度貧困から出られたのは、自分が住んでいる場所にたまたまそれなりに大きな国公立大学があったから。

高校で勉強ができる状況ではなくても大学に受かったのは中学生の時に塾で過ごした時間があったから。

その大きな二つの要因は全く自分の意図ではなくて、偶然の幸運だった。

子供の有無:姉がデキ婚で姉夫婦と住む

大学での経済的な負担も思ったより少なく、ようやく、ようやく私の人生も落ち着いたのかと油断していたところに、

私が大学2年(20歳)の時に、3歳年上の姉が大学生の彼氏(私から見て義兄)とデキ婚!

私抜きで姉夫婦が一年間一緒に住むことが決まった!

全然めでたくない!そしてこの出来事が決定的に私と家族全員との仲を壊す…

家族のことを考えて大学を選んで父親が不法侵入する前の家からの引っ越しの背中を押したのに、母は頭パッパラパーの姉を取るのかという絶望。

高校生の時に空いて修復されたはずの母との溝がここにきてまたぽっかり。

姉は昔から私をこき使える召使としか見ていないので、妊娠のストレスやらを私にぶちまけて、出産後も協力を強制。

義兄はただの役立たずなので省略。

母は「いざという時に助けてくれるのは家族だから大事にしないと!」とかふざけたことほざいていたけれど、

私は自分の足を引っ張る家族なんて一思いに捨てればいいと思ってる。

一度たりとも助けてくれない家族はこれからも自分を助けるはずがないし、許せないことは許せない。

ということで、私は家族とは極力関わらないようになった。

今は彼氏や友達もいて関係性の貧困にはなっていないし、バイトもできて奨学金もあるので経済的な貧困からも脱せられて、自分の状況を隠さず信頼できる人に話すことで冷静なアドバイスがもらえたりと情報の貧困にもなっていない。

今度こそ貧困から抜け出せたのかもだけれど、いつまた貧困に転落してもおかしくないという危機感は持っている。

私の主張

貧困に陥るのはいとも簡単だと言うこと。誰しもが無関係ではない。

躓きから立ち直るのは、がんばりや気合とかいう「精神力」なんかではなくて、お金や人、仕事、情報だということ。

私が経験したのは生命が脅かされるほどの貧困ではなくて、「普通の」人生を送れない「相対的貧困」である。

どんな貧困も自己責任では片づけられない。そこから抜け出すことは自力では難しい。

若者の貧困問題には、大学の授業料を下げたり、給付の奨学金を増やしたりといった社会的支援が必要。

 

 

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